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家を建てて20年、子育ても終わって今思う事。

子どもの頃から家が好きだった

子どもの頃からブロックで家を作るのが好きだった。
一番思い出にあるおもちゃは「こえだちゃんと木のお家」

そして、近所にある空き地で秘密基地を作ってみたりした。
中学生くらいになったときに、父親から「明日から一週間学校休め」って言われて手伝わされたのが、家のリフォーム。
壁を取っ払って、基礎を増やし、柱を切ってキッチンを増築した
完全に素人のやる工事ではなかったけどめっちゃおもしろかった。
それがきっかけでぼくは、大学で建築科に進学する事を決めた。
大学に入ってからは、とある人との出会いでがらっと趣味が変わってしまった。
車にのめり込んでしまったのだ。
車の改造費を稼ぐために日々バイトに明け暮れた。

そんなこんなで大学時代はろくな勉強もせずに、何とか単位をとってくぐり抜けてきた。
四年生になり、就活する時期になった。住宅系に行くことは自分の中で決めていた。
当時も今も変わらないかも知れないけど、大手思考強かった当時、ぼくはあまり考えずに旭化成ホームズや大和ハウス、一条工務店等を受けるもろくに勉強もしてなかったため面接で見抜かれことごとく落ちた。
ただでさえバブル崩壊後の就職氷河期。
今考えれば、甘すぎる自分がいた。
結局一つだけ受かった中堅処のハウスメーカーに就職。

ハウスメーカーで勤務

そのハウスメーカーでの仕事は他とはちょっと変わっていた。
普通の会社は、設計・現場管理・アフター対応など別々の人が担当するけど、営業が受注してからはすべての工程を一人でこなすことになる。建築確認申請の提出までやっていた。
住宅メーカーで働いていてずーっと感じでいたことがある。
それは仕様が決まっていてそれを変更するといちいちめんどくさい事。
大量に材料を仕入れしてコストダウンをはかっているので仕様を変更する事が好まれない。設計も総二階の原価のかからないデザインを推奨される。
もっと自由に家を建てたい。
そんな想いが徐々に膨らみ、転職を考えるようになる。転職するにあたって建築士の資格が必要だと思い会社をやめることにした。毎日夜遅くまで残業していたので働きながら取得するには無理があった。

バイト生活

転職するときにはすでに結婚していて会社に退職届けを提出した翌日に、子どもが出来たことがわかった。家族を養わなければいけない。
とりあえず、家業の印刷屋でアルバイトしながら建築士の取得を目指した。
その年に建築士に合格する事ができたけどある問題が生じていた。

実家の印刷会社で働いているうちに、業界の事が見えてきた。実家は技術の進化に乗り遅れていて後、数年持つかどうかの状態だった。
このまま見捨てて自分の人生を歩むか。再建に乗り出すか迷ったあげく、実家に残ることにした。
それからは、まったく興味のなかったコンピュータについて猛勉強した。
当時有用な情報源がなかったのでほぼ毎週大須に通って、色々なものをあさってみた。
家族をほったらかしにして暇があれば本を読んでいた。運転中も本を読んだ。
そんな生活が十年くらい続いただろうか。必死で学び、必死で働いた。

家を買う

子どもたちも保育園に入り、そろそろ子ども達の行く学区を視野にいれなければ行けない時期なってきて、家を買う決断をする。
碧南で土地を探していたのだけど、昔から駅近の便利な所に住んでいたのであまり離れた所に住むのがいやだった。
そんなこんなで行き着いた先が東浦町。会社から車で三十分も離れた距離にある所だった。
そこを選んだ理由はイオンが近い事。歩いて映画館に行けること。たいした理由でもない。

そして現在

もう住んで二十年ちかくなるだろうか。

子ども達も成長し、今は嫁と二人暮らし。

そんな二十年たって思ったことは、

「大きい家はいらんかな」

という事。

2階に4部屋あり、子ども部屋もあった。
でも実際子ども達は、ダイニングで勉強をしていて子ども部屋には寝るために行くだけ。
でも実際子ども達は、ダイニングで勉強をしていて子ども部屋には寝るために行くだけ。
寝ると言っても小学生のうちは家族みんなで川の字になって寝室で寝ていたので子ども部屋を使ったのはほんの数年程度だった。
それを思うと、無駄な空間のために高いお金払ってしまったなとつくづく思う。
ぼくたち家族は仲が良い。不思議な事に子ども達も反抗期らしい時期がなかった。この大きな要因は、常に家族が同じ空間にいたからじゃないかとつくづく思う。

二十年経って思うこと

家は、箱ではなく家族をつなげる道具だと思う。

道具を買ったがために生活が苦しくなって仕事に明け暮れる毎日になってはいけない。

道具の造りが悪いために、家族のコミュニケーションがなくなり家庭崩壊しても意味がない。

あとは、老後の事を考えた家造りをするくとが大切だと思う。

家を建てる時はおそらく子どもが未就園児くらいの時、その時に考え得るのはおそらく目先十年くらいまでの生活。

最悪子ども部屋がなくてもなんとかなる。というか逆に子ども部屋がない方が家族の絆は深まる。

逆に老後、体が不自由になった場合、寝室が二階にあったり、廊下や階段の幅が狭くて車いすで移動できない。

また、介護が必要になった場合は家そのものを改装しなければいけない。

それも大がかりな改装を。

左の表を見てわかるように、子ども部屋を使うのは35年の家の寿命に対してほんの数年のうちだけ。

それよりも子どもが成長して夫婦二人で生活する時間。歳を取ってからの時間の方が長い。

そこに標準を合わせた方がより長い間快適に暮らせる住まいになるのかなと思う。

ぼくは、何かと趣味が多い。サーフィン、音楽、写真、旅行、映画、油絵。

今ではこれらの趣味を十分に楽しめるそんな空間があった方がより豊かな時間を送れると思っている。

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About Me

ハワイアン工務店は、ただ単にハワイにあるような家を作るのではありません。ハワイにいるときのように風を感じたりゆっくりとした時間の流れにひたったり、「いるだけで心が豊かになる家」そんな家づくりを目指しています。

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